キューバ・ハバナ Cuba
キューバ・ハバナといえば革命と古いアメ車とサルサダンス、世界に知れたる葉巻の生産地、サトウキビから作るラム酒ハバナクラブ、ヘミングウエーゆかりの地、要塞の街ハバナ、野球が好きの社会主義国家です。国家公務員として働く人の平均月収は日本円で5000円言われていますが、 医療費と教育費は無料で医者の数は1000人当たり6.4人、日本は2.2人と日本の3倍です。 |
船上から見たハバナ、ドームは旧国会議事堂
船上から見たモロ要塞
モロ要塞の内部
現在はコロンブスの歴史などを展示する博物館で,灯台でもある, モロ要塞は高さ20mの城壁で,1640年にスペインがハバナ湾防衛のために建設した。対岸の、プンタ要塞と向かい合って、外敵が迫ると鉄の鎖を渡して敵の侵入を防いだ,17世紀前半のイギリスの海賊の再三の襲撃にもハバナを守った,1762年イギリスが要塞を占領した、1年後スペインはフロリダと引き換えに要塞を取り返す、この翌年1763年に新たにカバーニャ要塞を建造し防衛力を高めた,モロ要塞は役目を終えてからは牢獄だった。、
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大砲が当時のまま残されている
モロ要塞からみるハバナ湾や旧市街は絶景です。
モロ要塞からみるハバナ湾や旧市街は絶景です。
カバーニャ要塞、モロ要塞の隣に後から強化のため建設された
カバーニャ要塞の砲台
プンタ要塞、運河の入り口にあります
フェルサ要塞
ハバナ湾の対岸へ行く海底トンネルのロータリーにある銅像マキシモ・ゴメス像19世紀の第一次独立戦争の指導者
クラシックカーがずらり
ドームの有る旧商工会議所
20mの白いキリスト像
ハバナ港、ここに着岸して入国します
キューバ下船時の入国審査の行列 1時間以上待たされました
ハバナ旧市街
サン フランシスコ 広場
旧商工会議所で、現在は朝日新聞・NHK・BBSなどの支局が入るビル
サンフランシスコ・デ・アシス教会
この客車1900年のアメリカ製で1912年にキューバが購入、革命前の1959年まで、キューバの大統領専用車だった
ラム酒博物館
キューバを代表するラム酒「ハバナクラブ」の歴史とサトウキビから作られる工程を紹介する博物館
サトウキビ絞り器
1930年代のラム酒工場の模型
キューバを代表するラム酒ハバナクラブ
ラム酒の販売と試飲コーナ
キューバ史上初の女性提督だった“ラ・ヒラルディージャ”の像はハバナ・クラブのロゴになっている、フェルサ要塞の塔の上にある“ラ・ヒラルディージャ”の像(左写真)
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葉巻の売り場
メルカデレス通りの右手側にある砂絵壁画
キューバの歴史上の著名人67人を描いている。壁画家のアンドレス・カリージョが2000年に描いた。
対面の建物を写しとって描いている
市立博物館(旧スペイン総督官邸)
市立博物館(旧スペイン総督官邸)前の道路は馬車の足音を吸収するためにキューバ産の木材が使われた石畳
チェ・ゲバラの第一邸宅
チェ・ゲバラの第一邸宅
フェルサ要塞
フェルサ要塞の塔の上にある“ラ・ヒラルディージャ”の像 キューバ史上初の女性提督だった“ラ・ヒラルディージャ”の像はハバナ・クラブのロゴになっている |
エル・テンプレーテ教会、ハバナで最初にミサが行われた場所
ヘミングウェイゆかりの場所
レストラン ラ ボデグイータ・ デル・ メディオ
ヘミングウエーがこの店に足繁く通った店
ヘミングウエーがこの店に足繁く通った店
ホテル・アンボス・ムンドス、ヘミングウェイが”常宿にしていた有名なホテル
ロビーの壁には、ヘミングウェイの写真を展示
大聖堂 1555年に建設、高さが異なる2つの塔が特徴
大聖堂広場にて
車止めは大砲のレプリカを突き刺してあり反戦を意味している
キューバのお巡りさんはこんな制服です、日本人ガイドの話だと大変治安は良いとのこと
今日は土曜、少年達が野球をしています
サン・ホセ民芸品市場、かわいいお土産が揃う!
サン・ホセ民芸品市場
アメリカ製のSLが3両展示してある
ロシア正教のカザン大聖堂、2008年完成、キューバ最初の大聖堂
カストロのロシアとの絆がうかがえる
中央公園
中央公園、キューバ独立の英雄ホセ・マルティの銅像
キューバのカラフルなアートが見られるハバナ国立美術館
ガルシア・ロルカ劇場
旧国会議事堂(カピトリオ)
モデルはアメリカの国会議事堂建築、1929年、幅208m、高さ 98mの4階建て大理石をふんだんに使用した瀟酒な内装。レプリカだが、床には24カラットの ダイヤモンドが 埋め込まれている。その場所はキューバ道路の基点ゼロ地点でもある。また入口にある彫像は台座と像を合わせて15mもの高さがあり、世界で3番目に巨大なものとされる。キューバの国旗をまとった女性の像で共和国の象徴となっており20世紀初めのキューバの経済状況を物語る立派な建物。
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キューバ人が最も好むスイーツはエラート(アイスクリーム)、暑いがカラッとした気候のせいもあり、喉を潤すために、よく口にします。この店は、映画「苺とチョコレート」にも登場した「コッペリア」。新市街の中心街、「ハバナ・リブレ・ホテル」の斜め前にあります。
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ハバナ・リブレ・ホテル(革命前のヒルトン)
コヒマル
海底トンネル、旧市街から運河の海底を抜けるトンネル
(1955年〜1957年にかけて作られ長さ733m)
コヒマル・老人と海の舞台となった漁村、小さな要塞がある
ヘミングウエーが自殺した後に漁民仲間が自分たちのスクリュー等の金属を出し合って作った胸像
アーネスト・ヘミングイエー 1888〜1961と彫られているが生まれは1899年でした
映画「老人と海」1958作、コヒマ
ル村のシーン右下の写真の円柱内
に現在はヘミングウエーの胸像が
出来ている
ヘミングウエーが常用していたレストラン、ラ・テラサで昼食
カストロとヘミングウエー(1959年)
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ヘミングウエー愛艇ピラール号の船長
グレゴリオ・フエンテ
釣りの師匠であり、呑み友達だった
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郊外のアパート
クラッシックカーでハバナを疾走
クラシックタクシーでハバナを巡る
観光客相手に商売する人は、色とりどりのクラシックカー、きれいに手入れされた観光客向けのオープンカーから、ぼろぼろの乗り合いタクシーまで、様々な車が行き交う光景は多くの観光客を魅了してやまない。半世紀以上も昔の車がなぜ、今も現役で走り続けるのか。クラシックカーの多くは20世紀中ごろの米国製だ。当時、米国人に人気のキューバには、たくさんの米国車が持ち込まれたが1959年、キューバ革命で親米政権が倒れると、米国人は着の身着のままで脱出。その時の車が今も使われているの。外見はクラシックカーだがエンジン、内装は後付でメーカも無関係。新車はあまりにも高額で手に入らない。 平均月収は日本円で5000円と言われているが、観光客向けのクラシックカーのドライバーは月収25000円で,ドライバに転向者が増えてる。 |
GM社のポンティアック 1957に乗車しました
メーターは全く動かず、スピードは不明です
12km続く海沿いのマレンコ通り
マレンコ通りの高層建築
前方右は音響攻撃の噂があったアメリカ大使館、前のポールは国旗掲揚用
革命広場横にある、ホセマルティ記念博物館
内務省のゲバラ肖像
夜はネオンサインが点灯
情報通信省にカミーロの肖像
ゲバラの肖像画
マレコン通り
日曜日で少年等が送迎してくれています
キューバを後にマイアミへ出航
キューバのサンセットを眺めながらディナー
マイアミ Miami, U.S.A
早朝のマイアミ港に到着
下船、これでお別れ
港から飛行機がテークオフ、マッカーサ・コースウエー
ベルサーチの家
5thストリート
オーシャン・ドライブ
マイアミビーチ
2019/2/5日
パーム アイランド パーク・高級住宅街
ベイサイド・マーケットプレスで昼食とショッピング
アメリカン・エアラインズ・アリーナ
マーリンズスタジアム:ローンデポ・パーク
マイアミ空港
キューバのクラシックカー
クラクションの演奏合戦です
ジャマイカ ダンズリバー滝登り
ケイマン諸島でアカエイとハグ
クルーズ船 シアターにて フレンチカンカン踊り
クルーズ船 デッキにてラテンダンスショー
ペーアが凄い
今日は白の服を着用するホワイト・ナイト・デーです、子供も白い服で楽しんでいます
以上