香港・マカオの旅
2012/5
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2012年5月8日〜11日に鶴原、森田、平田、久我の4人で香港・マカオに旅行しました。現地は梅雨の真っ盛りでしたが好天で綺麗な景色や料理を満喫することができました。

香港とは
香港は面積が1,103平方キロメートル(東京都の約半分)、人口約700万人、235の島からなり橋、海底トンネル、フェリーで結ばれている、面積が1,103平方キロメートル(東京都の約半分)、人口約700万人で世界で最も人口密度が高い。

 九龍地区
かつて本物の城砦が存在し、清朝の役人や軍隊が駐屯し、特産物である塩や香木を保管する場所として利用されていた。アヘン戦争で、1899年に香港が中国から英国へ租借された際、九龍城砦だけは中国領としてありつずけた。 約20年前まではここに難民が押し寄せて住環境の悪いスラム街で行政の及ばない無法地帯であった。

日本の女流画家が描いた九龍のスラム街、TVアンテナまで詳細に描いている
 

古いアパートがいまだに残っている、窓には万国旗が
  

ビクトリアピークから眺める100万ドルの夜景

ビクトリアピークは香港島の最高地点で標高545mである、あいにくの梅雨期でモヤがかかっている。
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スターズ・オブ・アベニューでレーザーショー
スターズ・オブ・アベニューは九龍のベイエリアにある香港映画をモチーフにした通りである。対岸の香港島の摩天楼の夜景も見事であるが8時から14分間繰り広げられる摩天楼の音と光のショーが素晴らしい。
 

 
香港島
 淺水灣 レパルスベイ

 映画 慕情に出てくるビーチと高級住宅街、左は天后廟
美しい弧を描く海岸、高台の高級住宅街。1950年代の映画『慕情』の舞台として知られる淺水灣は、街の喧噪とは無縁の静かな場所だ。
天后廟は海の守護神を祀った寺院、カラフルな神が面白い
  

サンパン船で水上生活船を見る
 

サンパン船は水上生活者の伝馬船、映画「慕情」では櫓をこいで水上レストランに向かうシーンが思い出される。今はエンジン付きの船で、
これに乗って水上を見物する、見える景色は高級クルーザーが圧倒し水上生活船は数えるほどしか無い。
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2階建てトラムに乗車
世界でも珍しい2階建て路面電車、100年以上経ても今も市民の足として活躍している(香港島)。二階に乗ってみたが揺れが大きく乗り心地は良くない、重心が高いし台車も2軸なので揺れるのも無理はない、でも窓の風がさわやかに感じ15分間の乗車に満悦した。

2階への階段は運転台の後ろにあり直角に曲がりながら昇降する。右は香港の風景を描いた2階建てトラム
  

スターフェリーで九龍に渡る
 

フェリーの両サイドから香港島と九龍の両方の景色が楽しめる
左はインターナショナ・ファイナンス・センタービル
90階 412m、映画にも登場する最新の高層ビル
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九龍のフェリー乗船場にて香港島の摩天楼をバックに記念撮影
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廣東道
 香港新名所1881ヘリテージ

この界隈はカルティエの店等ブランドショップが多い。左は結婚写真の小道具の馬車
尖沙咀の西側、海沿いに走るカントン・ロード(廣東道)沿いには、規模の大きなブランドショップが軒を連ね、注目のショッピングストリートとなっている。巨大ショッピングセンターの「ハーバーシティ」はグッチ、ルイ・ヴィトン、シャネルが、「ワン・ペキン・ロード」にはディオール、フェンディ、カルティエといった店がある。
 

オープントップバスで女人街散策

 

女人街の夜店を散策、買い物は値段交渉をしないと損をする
 
 
 
 

ホテル

宿泊は郊外のハーバープラザ リゾート シティ。右上はホテルの18階からの眺め、林立する近代的住宅が視界に入る。下段は同行の仲間達
 
 
 

香港の街角

左は学校帰りの生徒達、身なりも清楚な生徒達、右は女性ドライバー
香港人のプライドは香港で生まれ香港で育ち香港で英国流の教育を受ける、ここが中国人とは違うのだ。
ガイドの話ぶりではあからさまに中国人を見下していた。
 路線バスのドライバーは女性だが香港は物価が高く一家全員働いているので女性ドライバーは珍しくない。
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マカオ
香港の西南西約60km、南シナ海に注ぐ珠江の河口に位置し中国広東省と香港の西南西約60km、南シナ海に注ぐ珠江の河口に位置し中国広東省と陸続きの澳門半島部、その南のタイパ島、コロアン島、両島の間を埋め立てたコタイの4ゾーンから成り、半島とタイパ島は3本の橋で結ばれ、コタイからは中国本土へ橋が伸びている。総面積は29.5km²と東京世田谷区の約半分の広さ。狭く起伏が多く、建物が密集し細い路地や坂が多い半島部、自然豊かなコロアン島など、それぞれに地理的な特徴がある。人口55万6800人(2011年)94%を中国人が占め、残り6%はポルトガル系や外国人で日本人定住者は200名程度いる。


香港から高速艇で60分、距離にして60kmにマカオがある。出入国審査があるのでめんどうである。
今回はマカオ日帰りだったが入国カードの宿泊先にはOne day tripと記入すれば済む。
 
 

世界遺産
聖ポール天主堂跡
メッセイージが彫られた巨大な石壁
マカオのシンポルの聖ポール天主堂跡は、教会の前面だけが残る石造りのファサード(正面壁)とその隣に建てられた聖ポール大学の総称。小高い丘にそびえ立つその姿は荘厳である。1602年から1640年にかけ聖母教会(聖ポール教会)として建築され、施工には中国人ほか、長崎から幕府の弾圧を逃れて渡ってきた多くの日本人キリスト教徒も携わっていた。設計はイタリア人修道士スピノラで、最初の創建者は日本にも来訪したアレッサンドロ・ヴァリニャーノ司祭。「石に刻まれた説教」と言われるように、残されたファサードからは、様々なメッセージが発せられている。聖ポール天主堂の完成した1637年は、日本ではちょうど島原の乱(天草四郎の乱)が起きた年。1762年のイエズス会の追放後、大学は兵舎へと変わり、1835年の火事で校舎と天主堂の本体が焼け落ちて現在のファサードのみの姿となった。周辺一体は1990年から1995年に復元工事が行われ、ファサード裏手の地下には天主教芸術博物館と納骨堂が設置された。
 
石壁に彫られたメッセイージとは
画像片にマウスをあてると説明が出ます
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4人の聖者像

4人の聖者像、右から2人目がフランシスコ・ザビエル
 

@デビルに矢が刺さっている。悪は滅ぼされる。横に島津のマークも彫られている(薩摩藩がフランシスコ・ザビエルの布教を許可したゆえか)
 Aデビルの右側には「鬼是誘人為惡」「鬼これ人を誘い悪に為す」の文字。
 Bデビルのとなりに帆船と聖母マリアが彫ってある, 布教の船か思えるが実は海の守護神を表現している。
 
C壁の中央に立つ聖母マリアと祝福する天使、アーチには菊と蓮が彫られており東西文化の融合が見らる。菊は、暗にキリシタンの迫害を逃れてマカオにやってきた日本人を示し牡丹は中国人だといわれている。
 
Dイエスズ会のシンボルの「IHS」が両側にある。
 
E壁の左側に1602年偉大な聖母に捧げる彫られた台座がある。
 
FH壁の上部左右に獅子が彫られ東洋的。
 
G鳩のいる三角部はキリストの聖書の三位一体を表している、鳩、両側に太陽と月と星が四つある。
 
I家康龍の隣りには、骸骨、薩摩藩に縁があるのか島津のマークが彫られている。
 
J徳川家康と言われる龍の顔のアップ。龍は西洋では悪魔だが東洋では神とされているがここでは悪魔扱いなのが面白い。
 
K王冠の前で2本の矢が交差している彫刻、これは、殉教を象徴しているという。
 
L7つの龍の頭を持つ悪魔が描かれていて、それを聖母マリアが踏みつけているところです。実は、この悪魔はキリスト教を弾圧した徳川家康だと言われてる。(フランシスコ・ザビエル像の一段上に)
 
M「念死者無為罪」中国語で「死を忘れぬ者に罪み無し」の文字。
 
N幼子イエスの受難を表すイバラの冠と鞭、とその両側には拷問の道具も彫られている(画像は省略)。
 
O中央門の「MATER DEI」は聖母を意味するラテン語。
  
 
4人の聖者像
右からルイス・ゴンザガ・・・ボルシャと共に伝道活動を組織した人物
 フランシスコ・ザビエル・・・東洋にキリスト教を伝道した人物
 イグナティウス・デ・ロヨラ・・・イエスズ会初代会長
 フランシスコ・ボルシャ・・・イエスズ3代目会長
  
 
城壁
1569年、ポルトガル人の居留が始まった頃に造られた古い城壁とその右端にナーチャ廟があり子供の神様を祀っている。ポルトガル人が生活圏を守るために周囲に城壁を設けた、土砂、ワラ、牡蠣の貝殻を混ぜ、木製の枠に流し込んで押し固めた「シュウナンボー」という煉瓦使い、これを何層にも重ねて城壁が作られた。様式は西洋風なのに材料と手法は東洋的で東西文化の融合で生まれた城壁である。
 
 
 
 

ファザードの裏は鉄骨で支えられている、右は正面と66段の石段の写真
 

街角風景

マカオには農地が無く食料は全て輸入なので食材には産地が記されており豆類はアメリカ産であった。
  

セナド広場
 

アジアのヨーロッパをただよわせるセナド広場
セナド広場は古くから街の中心であり、いまもイベントや祝典の開催場所として利用されているマカオを代表する広場。中央の噴水が設置されている、世界遺産の仁慈堂、民政総署、ビジネス・ツーリズム・センター、郵政局など、周囲をパステルカラーのネオクラシック様式の建物や文化財が取り囲む、とても華やかな広場。石畳はポルトガルから取り寄せて造られ波をモチーフにしたている
 
  
夕暮れのライトアップされたセナド広場と民政総署(役所)

 
 
仁慈堂
仁慈堂は1569年にアジア初の慈善福祉施設で西洋医療を取り入れた病院や、孤児院、養老院も備えていた。建物は何度も修復された後、1905年、ネオクラシック様式にマヌエル様式を加えた現在の姿に再建された。
 民政総署
市民生活に直結した行政事務を行う建物。16世紀末、最初は中国様式だったが、1784年にいまの南欧スタイルに再建。白を基調にした上品な外観はネオクラシック様式にポルトガルらしさを漂わせています。壁、レイアウト、内装、裏庭に至るまで当時のまま残されており、建物の2階部分には議事室と一般公開している重厚な図書館がある。1階には小さいチャペルと中庭があり、通路や階段などの壁は白地に藍色で模様を描いたポルトガル伝統のタイルによる装飾が施されている。
 
 

左は民政総署、右はポルトガル伝統のタイル、 アズレージョ:火災前の聖ポール天主堂が描かれたタイル(中央右上)
 
 
 

マカオ政庁

1999年12月までマカオの総督府が置かれていた。ピンク色の壁に白い窓、バルコニーを持つ美しい建物。
  

カジノ
マカオは税金(消費税.所得税.固定資産税等)は一切無く、高齢者医療も無料、義務教育も無料です、収入源はもちろんカジノ、今やラスベガスを抜いてカジノだけの収益では世界一とか
MGM グランド マカオ

MGM グランド マカオ  大王製紙の元会長井川意高(もとたか)が大金を注ぎ込んだカジノで有名
 
 
カジノ・ギャラクシー

マカオ・グランド・リスボン
蓮をデザインした外観の52 階建て、高さ258mのマカオ最高層のホテル
   
 
 
ベネチアン・マカオ・リゾートに入る

ベネチアン・マカオ・リゾートのカジノを上から覗く ルーレット、さいころ大小 バカラに人だかりが出来ている
 
 
 

カジノの2階はベネチア風の350店舗が入る大型ショッピングモール、天井の人工の青空が圧巻
ベネチアをモチーフにした場内には河が流れゴンドラにも乗れる
  
 

マカオタワー
 

ニュージランドから来たバンジージャンプのインストラクターと握手。 
  
 

マカオタワーのバンジージャンプを見物

左の日本の青年がバンジージャンプに挑戦(中央男性)、右はジャンプする瞬間の画像バンジー台の高さ233mは世界最高でギネスに登録されている
  
 

媽閣廟(アーマカオ)

媽閣廟は海の守護神を祀っている,マカオと言う呼び名の語源となった寺


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マカオの夜景

夜景は素晴らしい、残念ながらマカオは日帰りで夜景やショーを堪能出来なかった次回は是非宿泊すべき場所です。
マカオから出国 香港からマカオへのワンデートリップだった。
 
ご馳走いろいろ
みんな本場仕込みで美味しいく満喫した
 

1日目夕食 潮州料理(海鮮)
 
 

2日目 昼食 飲茶                               デザートのマンゴープリン
  
 

2日目 夕食 「全聚徳」北京ダック
  
 

3日目 マカオ 昼食 ビュッフェスタイル
  
 

3日目 マカオ夕食 ポルトガル料理(チキンと白身魚のフライ)
 
 
4日目の昼食はワンタン麺と炒飯、ワンタン麺は皆さん口に合わず食べ残す

4日目 帰国
香港空港

滑走路2本、スポットは71番まである巨大な空港
 

 
 
 
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