SL レトロ 碓氷  C61
C6120 スタイルとディテイル
 
 
2011年8月18日 信越線 高崎→横川間にC6120けん引の「SLレトロ碓氷」が運転されました。
特製のヘッドマークを付けC61と最後部にはDD51が連結され復路は「DDL碓氷」として運転されました。
 
 

C61形蒸気機関車は、戦後の旅客輸送需要の急増に対応するために、余剰のD51形のボイラや部品を活用し、C57形の足回りをベ
ースに製造された大形旅客用機関車である。車軸の配列は、「ハドソン」と呼ばれる2C2型(先輪2軸+動輪3軸(C)+従輪2軸)で、日本ではC61形で初めて採用された。 C61形は1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて33両製造され、このうち、「C61 20」は、東北本線、常磐線、奥羽本線を中心に旅客列車として運用され、東北初の特急「はつかりや寝台特急「はくつる」の仙台−青森間にも使用されていた。 その後、「C61 20」は、1949年8月1日に製造され1973年8月に廃車となり、1974年1月に群馬県伊勢崎市にある華蔵寺公園に搬入され、再組立・整備を経て展示されていたが、鉄道の産業遺産である蒸気機関車を後世に伝えることを目的とし、2010年(平成22年)から復元工事が開始され、2011年3月に車籍復活を果たした。復元後は、上越線や信越線を中心にイベント列車として活躍している。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「SLレトロ 碓氷」2011/8/18
 
 
安中〜磯部間の走行
2011.8.18日 11:14 安中〜磯部間
特製のヘッドマークを付けたC6120
 
 
動画
復活したC61、黒煙を上げて力強く駆け抜ける
 
 
 
clickしてしばらくお待ち下さい。
2011.1.9 11時20分 安中〜磯部間
 
 
 
C61 サイドビュー
2011.1.18 11時14分 安中〜磯部間
 
ハドソン形を初採用したC61、火室の下の従輪2軸が詰め込まれハドソン形ならでは味を出している。
従輪2軸により動輪の軸重軽減を図った。 ハドソン形とは : ハドソン川沿岸のニューヨーク
セントラル鉄道が最初に発注したためで先輪2軸+動輪3軸+従輪2軸 の2C2型車軸配置のこと。
 
 
最後尾のDD51形補機
2011年8月2日に行われた信越本線(高崎駅 → 横川駅)における試運転では、磯部駅 → 横川駅における
25‰の急勾配区間で空転が多発し、停止寸前まで速度が落ちた。本来ぶら下がりのはずであった最後尾
のDD51形のディーゼル動力を補って勾配を登った。これにより、以後急勾配区間では必ず後補機を必要と
する事態となった。この事態の背景には、従輪の2軸配置による軸重軽減によるものと考えられている。
 
 
 

横川駅到着
 
ヘッドマークは Welcome to Gunma  SLレトロ碓氷
頑張ろう日本、群馬デスティネーションキャンペーン 2011 SUMMER
 
 
スノウプラウの内側にはATS-P形の車上子・機器類があり保護と目隠しの目的を兼ねている
 
 
 
 
 
キャブのそれぞれの側面写真、社名版には三菱昭和24年第659号とある、昭和24年8月1日製造、
白枠内には平成23年3月大宮総合センター復元工事、および
ATS-P形・ATS-Ps形の設置を意味するP,Psが記されいる。
 
 
左から先輪、シリンダーと空気弁(花状の丸形)、第2先輪、クロスヘッドと滑り棒、主連棒、
モーションプレートと加減リンク、偏心棒、給水ポンプ
 
 
 
煙室反射板テコとその下はオイルポンプ
 
 
 
 
キャブ助手席側、右端は給水ポンプ、火室上部に大形のタービン発電機を2基搭載、右1台はATS-P装置の電源用。
復元時テンダーには重油タンクの取り付けられ自動給炭装置は撤去されている。
 
 

キャブ内部
 
運転席側の窓の上部にATS-P形とATS-Ps形の表示が追加されている、その横は加減弁テコ。
 
 
 
 
 
 
 
 
キャブのテンダー側天井は電装品で埋め尽くされている。
 
 
 

走行部
空気タンクと空気圧縮機、この奥にブレーキシリンダーがあり動輪のブレーキを作動させる。
 
 
 
動輪の直径が1750mmあり人物と高さを比べればいかに大きいかが分かる
 
 
 
 
従台車に車輪2軸が詰め込まれている、右側の軸受けに速度計が付いている。
 
 
 

列車無線
 
デジタル無線を導入しており、C61のテンダーの重油タンク上にアンテナを設置している。
古典の客車にもに最新の保安装置が施されている。
列車無線アンテナは八木アンテナ製のスリーブ・モノポール・アンテナ周波数149.85MHz
 
 

客車編成
  SL 6号 5号 4号 3号 2号 1号 ジーゼル
形式 C6120 スハフ32-2357 オハ47-2266 スハフ42-2173 オハ47-2261 オハ47-2246 オハニ3611 DD51842
台車形式 -  TR23 TR23 TR47 TR23 TR23 TR52 - 
製造年 S24 S13 S27 S28 S27 S29 S30 S46
 

形式名の記号について
スハフ32-2357:ス(車重:37.5〜42.5t)、ハ(用途:普通席車)、フ(ハンドブレーキ車)、3(一般形客車)、2(2軸ボギー車)、2357(製造番号)
オハ47-2246:オ(車重:32.5〜37.5t)、ハ(用途:普通席車)、4(一般形客車)、7(2軸ボギー車)、2246(製造番号)
 
 
 
 

台車
 
 

6号車 最古参スハフ32-2357
6号車スハフ32-2357 三等車を表すローマ数字による記号「III」を側面窓下に標記して区別していた。1940年(昭和15年)
2月まで赤色帯も施されていたが、塗料節約のため赤色の帯は廃止、「III」の標記は1960年に二等級制になるまで続いた。
また、切符の色にも同様な区別がなされ、三等車・三等乗車券を指す言葉として「赤切符」という俗語もあった。
 
 
 
6号車 スハフ32-2357 編成の中で最古参の戦前の客車で70cmの狭い窓 リベット車体、そしてニス塗りの内部、
箱形の放送スピーカ、繊維で出来た網棚等往時の状態が保たれている、この車両のみ扇風機が無く乗客が
窓を開け放っている。1号車 オハニ3611の内部も本機と同様古典的な室内を保っている。
 

2号車 オハ47-2246の車内と栓抜き
以前あった窓側テーブル下の灰皿は除去されているが栓抜きは健在である、さらに背もたれの通路側
にも栓抜が付いている。現在の様な缶飲料やペットボトルの無い時代は必需品であった。
 
 

1号車 オハニ3611
 
1号車 オハニ3611の室内はレトロ
1926年(大正15年)7月にナロハ22389として誕生。その後、1927年(昭和3年)に称号改正でナロハ21309、1940年(昭和15年)
新小岩工場でオユニ26289に改造、1955年(昭和30年)車体を鋼製に改造しオハニ6311。1962年(昭和37年)長野工場で改造されオハニ3611に
 
 
 

DD51842
 
 
 
 
  
お召し列車用なので手すりや煙突部がステンレスで装飾されている
 
 
 
  
運転席(S46日立製)
 
 
 
 

群馬デスティネーションキャンペーンのラッピング
 
 
 
 
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