見納めの余部鉄橋、 架け替前+現在
撮影2008/6/26
更新2012/9/5
JR山陰本線鎧駅と餘部駅の間にかかる高さ41.5m、長さ310.7mの鉄橋で、トレッスル式と呼ばれる鋼材をやぐら
状に組み上げた橋脚が特徴で、この種の鉄橋では日本一の規模を誇ります。明治42年(1909年)に着工し、2年半の歳月
と約33万円(現在地に現橋梁と同じものを建設する場合の工事費用概算:42億円)の建設費、延べ25万人の労力をかけ、
明治45年(1912年)に完成しました。現在94才の余部鉄橋は静かに家並を見下ろしています、老朽化や維持管理費用、
騒音、鉄さび落下の問題から架け替えられる運命にあります。この余部鉄橋の見納めに行ってきました。その後架け替後の姿も
追加しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
余部鉄橋を渡る下り列車(遊覧船より撮影)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    
 
 
鉄橋がそびえたつ余部に駅ができたのは、昭和34年(1959年)。それまで余部の人々は、暑い日も雪の日も鉄橋を歩いて
渡り、4つのトンネルを抜けて1.8km離れた鎧駅から列車に乗っていました。余部の人たちは当時の国鉄に駅の設置を強く
働きかけ、さらに余部小学校の児童たちも、当時の兵庫県知事に「余部に駅をつくってください」と手紙を書くなどした結果、
ようやく駅の設置が決まりました。建設時には大人に混じり、児童たちも駅の材料となる石を、海岸から山の上まで皆で運び上
げ余部駅は誕生しました。念願の一番列車が到着したとき、村中総出で歓迎しました。駅ができた翌年(昭和35年)、余部小
学校の校歌がつくられましたが、2番の歌詞には鉄橋が登場し現在も歌い継がれているそうで
 
 
 
 
架け替え工事
現在の南側に架け替用の基礎工事が工事が行われていました。右の写真の○の中は出来つつある基礎の部分
現橋りょうの南側に保守が容易なコンクリート製エクストラドーズド橋(主塔が低い斜張橋の如き橋)、5径間連続PC箱形
けた。土台は橋脚4基と橋台2基設置、風速30m/sまで運行可能で、防風壁も整備し自治体が建設費の8割を負担、JR西日本
は2007年3月29日に新橋架替工事着工、2010年完成予定。工事主体は清水建設と錢高組。総事業費は30億円。これにとも
ない餘部駅ホームも北側に設置されるそうです。
 
 
 
 
 

新橋梁

架け替後
 
撮影2011/5/15
photo by S.N
 
新橋梁は2010年8月12日に開通、架設位置は旧橋梁よりも約7 m南側(内陸側)で、プレストレスト・コンクリート製となり
桁上高さ5 mの主塔から張られた斜材が桁を吊っており、下部は橋脚4基と橋台2基で構成。防風壁(アクリル製高さ1.7 m)
により風速30 m/sまで運行可能となった、騒音はコンクリート製となり橋梁上にバラストも敷かれたため大きく軽減され
されている。また、餘部駅のホーム位置が現橋梁の架設に伴い、従来線路の南側にあったものが北側に変更された。
 
 
 
  
左は旧線路と旧ホームと右は新橋梁
 
  
旧橋梁が一部保存されている
写真をclickするとポップアップします。
 
 
 
 
閉鎖された旧橋梁の前方は撤去されて行き止まりになっている。
 
 
 
特筆すべきS字カーブ、そしてコンクリート製エクストラドーズド橋(主塔の低い斜張橋の如き橋)と防風壁
 
特筆すべき点は、奥のトンネル付近のS字カーブで旧線路と接続するために工夫した箇所です。この工夫とは7月17日から
8月11日まで香住〜浜坂間を運休させバスによる代行輸送を実施し短期間に切り替え工事を完成させる手法でした。既設線
の脇の橋桁を横移動(7月20日)しさらに回転(7月23日)させて架設する「橋桁移動旋回工法」という国内初の工法でした。
移動するS字形の桁は全長約93 m、重量約3,800 tで、4.0 m平行移動させその後1号橋脚上にピンをはめ込んで回転軸とし
て反時計回りに5.2度回転させて所定の位置に橋桁を据え隙間を埋め、防風壁を設置し、最後にレール敷設や電気設備工事
を行い2010年8月11日に切り替え工事を完成させました。
 
 
 
撮影2012/9/4
photo by S.K
 
左はトンネル出口のS字カーブを見上げる、右は橋梁を通過する下り鳥取行き、餘部駅に停車寸前です。前はJR西日本色、後ろは国鉄色(左)。
 
 
 
山側から見た橋梁、ブルーの養生シートで覆われている部分が旧橋脚
 
 

遊覧船かすみ丸から余部鉄橋を一望(架け替え前)
 
三姉妹船長ので知られている遊覧船かすみ丸に乗船して山陰国立公園の中心地の香住海岸を巡りました、
日本百景にも選ばれた美しい岸壁は圧巻です!今日は3姉妹の内の3女が操縦・観光案内してくれました。
遊覧船から、名残惜しい余部鉄橋の風景を堪能しました。
橋脚11基中の10基が見えます、残り1基は右の餘部駅側の竹やぶにかくれています。
 
 
 
余部鉄橋を渡る下り列車。
 
 
 
 
美しい香住海岸
 
左は「インディアン島」、羽かざり、目、鼻、口はまさしくインディアンの顔です。 右は「鎧いの袖」
 
「鎧いの袖」は香住海岸を代表する名勝。高さ約65mの大断崖である。無数の柱状節理とそれを横に切るような
板状節理が、武士の鎧の袖を思わせることからこの名がついた。鎧の袖をつくっているのは、大陸の一部であった
日本列島が、日本海の形成に伴って大陸から離され頃の岩床(200万〜300万年前、新第三紀鮮新世)
で昭和15年に国の天然記念物に指定された
 
 
 
 
鳥取砂丘で砂の彫刻展
 
余部に行く途中に立ち寄りました、アジアの世界遺産をテーマに各国の彫刻家(中国、インド、シンガポール、イタリヤ、日本)の力作が見れました。
梅雨の合間の明るい空に砂丘を登る人が小さく見えます
 
 
万里の長城、作品の中に階段を登るユーモラスな人物が彫られています。
 
                  
      インド    タージ・マハル
 
 
 
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