2008/11/16更新
鉄道文化村 今と昔
正式名称 : 碓氷峠鉄道文化むら
 
廃線直前の横川駅のあさま号とEF63、そして車庫の様子です、この横川・軽井沢間は1997.9.30に廃線となりました。
    
10年前は車庫だった場所に1999.4.18、鉄道文化村が誕生しました。(1997.5.2撮影)
 
 
碓氷峠鉄道文化村に生まれ変わり展示されている あさま号(クハ189−506)
JR当時の検修庫は今、鉄道展示館として余生を送っています(2005.5.6撮影)
 
 
 
EF93にバックアップされ碓氷川橋梁を通過する下りあさま号(1996.8.15撮影)
 
 
 
あさま号(クハ189−506)の運転台
        
助手席側に記録式の速度計が設けらいます。
 
 
 
 
蒸気機関車 D51 96 「ナメクジ」
機関車の両サイドの違いが分かりますか、左側面には空気圧縮機、逆転機、運転手席が有ります
 
 
 
右側面にはタービン発電機、給水ポンプ、汽笛が有ります、ナメクジ型ドームには蒸気溜め、砂箱、給水温め器が入っています
 
当初貨物用として製造され旅客列車も牽引し、実に1115両も造られ、戦中、戦後を駆け抜けたベストセラー機で日本全国を「デゴイチ」の愛称で走り廻りました。重油併燃装置を付加、集煙装置の改良を重ね、本機のように煙突後ろのドームを長く伸ばしたタイプは特に「ナメクジ」と呼ばれました。1936年(昭和11年)製造 動輪径1400mm、78.4t、1280ps、最高速度85km。
1961年、私の高校の修学旅行当時の同形式のD51 814
 
 
 
 
 
 
 
直流電気機関車 EF58 172
旅客用電気機関車として暖房装置(蒸気、電気)を持ち、東海道、山陽、東北、上越、高崎線などで活躍しました。誕生時はデッキ付の古めかしい機関車としてしたが、後に当時はやりの流線形に変更され特急「はと」「つばめ」を牽引し、また日光線でお召し列車を牽引するなど時代の先端で活躍しましたが、晩年は荷物列車の先頭に立ち現役を退きました。現在は数両がイベント用SL、EF57に続くEF58ブームを巻き起こした名機であります。1958年(昭和33年)製造 出力1900kw、長19.9m、自重115t、速度120km/h
私の高校の修学旅行は同形式のEF58に牽引され九州まで行きました、当時は小豆色の塗装で機関車の前で記念写真を撮ったことが懐かしく思いました。(EF58 87) 
 1961年、私の高校の修学旅行当時の同形式のEF58 87
 
 
 
 
 
 
 
直流電気機関車 EF53 2
 
 
EF52形電気機関車を基本に改良を重ね、旅客列車用として誕生し当初は東海道本線で活躍していましたが、晩年は高崎線に配備され後に山陽本線瀬野〜八本松間の勾配用補助機関車EF59に改造されました。本機はEF59 11より復元したものであります。
1932年(昭和7年)製造  出力1350Kw  長 19.92m  自重 98.88t  速度 95Km/h   
 
 
 
 
除雪用ディーゼル機関車 DD53 1
 
DD51形の動力ユニットを使用した大出力除雪用ディーゼル機関車1号機です。ロータリヘッドの駆動は機関車本体から伸ばされた動力シャフトによって行われます、DD20形の後押しにより全出力を除雪用として使用することもでき、ロータリー部分の形状が異る3機が造られました。大出力ゆえ投雪で民家や電柱などに被害を出し、皮肉にも里雪にはDD14の方が良いということで山岳地区に追いやられました。残りの2機は長岡、直江津に配備され、この1号機は北海道で活躍し昭和51年、山形の新庄に転属となり使命を終えました。
1965年(昭和40年)製造 機関出力1,100PS 長さ16.2m 機関車重量81.00t 
左のDD53機関車から伸ばされた動力シャフト( 奥と手前の2本)によって
先頭のロータリ車の羽を駆動します
 
 
 
               峠の湯駅の碓氷峠トロッコ列車 ”シェルパくん”              天然温泉 峠の湯
   
 
 
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