スペインの旅
 
2014/5 スペイン・ポルトガル10日間の旅行記です、天候にも恵まれ日中は半袖シャツで快適に過ごベストシーズンでした。またアマポーラやジャカランダの花が咲みだれ、パティオの観葉樹の美しさを競うパティオ祭りのなどが楽しめ、また多くの世界遺産を満喫することが出来ました。 飛行機の直行便がなくパリで乗り継ぎ所要時間17時間とハードでした、また国内の移動はバルセロナ→マドリード間は新幹線でそれ以外は全てバス移動ですがハイウエーが整備されていて快適な旅が出来ました。両国内の移動距離は全2300kmに達しました。ツアー参加者13名(男4,女9名)とこぢまりした中に単身で参加しました、 女性グループが多く楽しい旅行でした。コースはバルセロナ マドリード トレド コンスエグラ コルドバ グラダナ コスタデルソル ミハス セビリアで以下の地図のとうりです。
 
 
 
 
 
 
 
 

スペイン
バルセロナ
バルセロナはカタルーニャ州の州都で、首都マドリードに次ぐ第2の都市。この町には建築家アントニ・ガウディの残した建築物が多い。彼はバルセロナで暮らし、仕事をし、グエル邸、グエル公園や、巨大で今なお未完成のサグラダ・ファミリア教会のような有名な作品をいくつか残した。それらの作品の多くはアントニ・ガウディの作品群として世界遺産に登録されている。
 
 
 
 
サグラダ・ファミリア

サグラダ・ファミリアは偉大な建築家アントニ・ガウディの未完成の遺作。彼が完成させた東側の「生誕の門」には自然・写実主義が徹底され曲線を多用する独創的な彫刻、装飾群に目を奪われる。観光収入で建設ピッチが早まり2026年に完成予定でこの時には18本の尖塔が建ち、高さは最高塔で170mに及ぶ。
 
 
 
「生誕の門」側からみたサグラダ・ファミリア
サグラダ・ファミリア(聖家族教会)が池に映り絶景のポイント、教会全体が彫刻の固まりですが近寄らないと作品がよく分かりません。
クレーン等も活発に動いており建設は続いていますが2026年に完成時には170mの中央塔が出現します。
 
生誕の門(ファザード)は聖堂の北東側にありイエス誕生の出来事を全ての彫刻で喜びを祝福している様子を表しています。
 
 
                                                     
  
生誕の門の上部の生命の樹(糸杉)と鳩とペリカン
腐敗しないもの象徴の糸杉は永遠の命、鳩は神のもとに集まる信者と聖霊をあらわしている
ペリカンの像は(羽ねを拡げた白い鳥)、母親の子供に対する無限の愛を表す象徴として置かれたといいます。
 
 
 
 
鐘楼の先端
 
鐘楼の先端にはピナクル(小尖塔)と呼ばれる25mにもモザイクの十字架ぶついています
各ピナクルには聖人の頭文字がきざまれているそうです。残念ながらネットで防護され中身がよく分かりません。
 
そこでネットが保護が無い右側の資料写真(*)を見るとよく分かります。
塔頂が司教冠、それを支える部分が司教杖、そして穴が指輪です。
穴が方向が不揃いなのはイエスの使徒のメッセージが世界中に届くようにとの意味をこめているそうです
(*)外尾悦郎の著作「サグラダ・ファミリア: ガウディとの対話」より
 
 
 
 
画像の説明 
@マリアとヨセフの婚姻  :手を取り合うマリアとヨセフが司祭によって結ばれる場面、天使が司祭を手助けしている
A受胎告知 :マリアが身ごもった事を知らせる場面
Bキリストの降誕 :生まれたばかりのイエスと見守るマリアとヨセフ
Cエジプトへの逃避 :天使のお告げによりヘロデ王がイエスを探して殺そうとしていることを知りエジプトに逃げるマリヤとヨセフ
D東方三博士の礼拝 :三博士(賢者)が星を見てユダヤの子の降誕を知り贈りものを携えてイエスのもとを訪れる
E聖母マリアの戴冠 :イエスが聖母マリアに冠を捧げる様子、左下は養父ヨセフ
F天使の合唱隊 :外尾悦郎さんの作品 歌う9人の子供と演奏する6人の天使からなる。
G柱を支える亀 :聖堂の屋根に受けた雨水は亀の口から排水される。
H生命の樹(糸杉) :腐敗しないもの象徴の糸杉は永遠の命、鳩は神のもとに集まる信者と聖霊をあらわしている
Iペリカン :母親の子供に対する無限の愛の象徴
J羊飼いの礼拝 :イエスの降誕を知った羊飼いが急いでベツレヘムは向かい飼い葉桶で眠るイエスを礼拝する
K働くイエス :大工の養父ヨセフの仕事を手伝うイエス(右端)
 
 
聖母マリアの戴冠      マリアとヨセフの婚姻
 
 
 
 
 
天使の合唱隊
 
 
サグラダファミリアにて主任彫刻家外尾悦郎さんの作品
サグラダ・ファミリアの顔とも言うべき「生誕の門」に飾られている15体の天使の像、
内9体は歌う子供の像(中央)楽器を奏でる6体の天使は美しい表情をしています。
外尾さんは1978年に25歳でバルセロナにやってきて36年も住み続けた
 
 
 
 
 
                               
柱を支える亀
聖堂の屋根に受けた雨水は亀の口から排水される。
 
 
 
 
 
東方三博士の礼拝                 働くイエス 養父ヨセフの大工の仕事を手伝う少年イエス(右端)
エジプトへの逃避              羊飼いの礼拝
 
 
 
聖堂内部
内部は森の樹木をイメージした柱
 
 
 
 
 
自然光を利用した明るい聖堂内
 
 
 
 
 
祭壇と光り輝くキリストの像
栄光ノファザードの主の祈りの門
日本語で「われらの父」も彫られている
 
 
 
 
 
受難の門
 
 
 
受難の門の彫刻は角のある冷たい表情で、どれも不人気だそうだ。
イエスの受難と死、そして復活を表しています
 
 
 
上段は昇天するイエス、左にはマグダラのマリアがひざまずき、聖母マリアがヨハネに慰められています。
下段左 槍を突く兵士  中央 聖布を持つヴェロニカ 十字架を担ぐシモン
 





 

「聖布を持つヴェロニカについて」
ヴェロニカは、十字架を背負いゴルゴタの丘へと歩くキリストを憐れみ、額の汗を拭くよう自身の身につけていたヴェールを差し出しました。イエスはそのヴェールで額の汗を拭いてヴェロニカに返すと、ヴェールにはイエスの顔が浮かび上がるという奇跡。イエスの顔を強調するために、ヴェロニカの顔は消されている。
 
 
 
 
 
 
 
ユダの接吻と数字版
イエスに接吻して兵士達に誰がイエスか分かるように教えたユダの裏切り行為。
背後にある数字は縦横斜めの足し算の合計がキリストの亡くなった年齢の33になる。
残念ながらネットで防護され画像がよくありません。
 
 
 
 
 
ペテロの否定(イエスが逮捕されたとき、弟子ペテロは護身のために自分はイエスなど知らないと否定する)、 右:鞭打ちの刑地下博物館 
ガウディの逆さ吊りの設計手法を説明する模型が地下のガウディ博物館にある
右は 逆さ吊りの設計に使われた紐とそれに吊るされた砂袋
 
 
 
地下礼拝堂
 
信者の礼拝堂は地下にある、ガウディの墓もあるそうです。
 
 
 
 
 

モンジュイックの丘
 
モンジュイックの丘から4kmのところにサクラダファミリアがある
モンジュイックの丘の麓は1992年のバルセロナオリピックのメインスタジアムがあり
大型クルーズ船が寄港するバルセロナ港がある
 
 
 
バロセロナ港
観光シーズンらしく大型クルーズ船が大挙バロセロナ港に集結し壮観です、
 
 
 

 
 
左:スペイン広場と闘牛場跡、今は大型ショッピングモール「アレーナス デ バルセロナ」
右:ミロ公園のシンボル、22メートルのオブジェ「女性と鳥の像」。
ミロはバルセロナ出身で当時90歳の作品。色とりどりのこの作品は現在は市民の憩いの場のシンボルとなっています。最後に忘れてはならないのが、ミロ美術館。ミロ自身が現代美術擁護を目的に、バルセロナに自身の作品を寄贈する形で設立された美術館で貴重なミロの作品を鑑賞することが出来ます。バルセロナはミロの作品を溶け込んでいる、そんな街なのです。
 
 
 
 
 
カタルーニャ美術館 1929年のバルセロナ万博時に建造されたナショナル宮殿を改装し、1934年にオープンした美術館
オリンピック・メイン・スタジアム
 
 
 
 

 
ガウディの建築
カサカルベット:バルコーニに特徴がある、
カルベット氏の邸宅で現在はマンション
 
カサミラ:地中海の波と雪山をモチーフにしている
ミラ氏の集合住宅で
ガウディが手がけた最後の民間建築(グラシア通り)
カサバトリョ:神話をモチーフにし屋根は竜の背、壁はバラの花のモザイク
実業家バトリョ氏の邸宅
 
 
 
 

AVE
AVEは「スペイン高速」の略称から、AVE(アヴェ)と命名された列車
サンツ駅はレンフェ(スペイン国鉄)の鉄道網の中心の一つであり、通勤通学のための近郊路線セルカニアスの出発地でもある。高速鉄道AVEは2008年にバルセロナからマドリードまで開通した。この S103に乗ってマドリードへ向かいます。
 
(独、シーメンス社のICEタイプ)に乗ってマドリードへ向かいます。
時速300kmでバルセロナからマドリッドまで2:45分、
 
乗車するAVE S103は、ドイツのICE3をベースにしたシーメンス製の高速車両「ヴェラロ」シリーズのスペイン仕様車「ヴェラロE」、「E」は「エスパーニャ」(スペイン)の頭文字に由来しています。スペイン国鉄(RENFE)での制式名はS103系。「マドリード - バルセロナ高速線」の列車は、ほとんどこのタイプの車両が使用されています。設計最高速度は350km/hですが、現在の運転最高速度は300km/hです。
 
 
 
 
マドリードまでの車窓から見える山や古城
レンフェ(Renfe, Red Nacional de los Ferrocarriles Españoles)(スペイン国鉄)の文字
 
 
 
 
 
 
 
   

マドリード
マドリード(Madrid)は、スペインの行政の中心地(首都)である。イベリア半島における経済の中心地の1つともなっている。人口は約325万人。2011年の近郊を含む都市圏人口は541万人であり、世界第57位、欧州では第5位である。
 
 
アトーチャ駅に到着 新しい新幹線ホーム
右:高速鉄道アルビア S120 (仏 アルストーム社 フリーゲージトレイン)
 
 
 
 
マヨール広場の建物の絵画に目を引かれる
アトーチャ駅の旧駅舎ドーム             ソフィヤ王妃芸術センター、ピカソの絵画が有名
 
 
 
 
アルカラ通り
シベーレスの噴水農業と豊作をつかさどるギリシャ神話の大地母神、キュベレがライオンのひく二頭立て馬車に乗る姿を描いている。
マヨール広場のフェリペ3世像、マヨールとは「広い」の意味
 
 
 
 
マドリードの紋章
熊が山桃を取ってる像、はマドリードの紋章になっています。昔はマドリード一帯が森だったので熊が居たとのこと。
マドリードがスペインの首都となるのは16世紀半ばであり、スペインのど真ん中に位置するとの理由で、フェリペ2世が
宮廷をトレドからマドリードに移したことに由来する。
アルカラ通りに建つスペイン銀行本店          アルカラ門:マドリード市の東門で首都マドリードの象徴です。
 
 
スペイン王宮
ドンキホーテとサンチョパンサの像(スペイン広場)
『ドン・キホーテ』の物語は、騎士道物語を読みすぎて自分を騎士と思い込んだ主人公ドン・キホーテが、
悪を成敗しようと遍歴の旅に出るという、世界の人々に親しまれている物語。
 
 
 
プラド美術館
プラド美術館
「エルグレコ」聖三位一体、羊飼いの礼拝、「ゴヤ」カルロス四世の家族、裸のマヤと着衣のマヤ、
「ベラスケス」ラス・メニーナス「ムーリョ」無原罪の宿り等を鑑賞
 
 
 
 
 

 
 ラマンチャ  トレド
トレド市はスペイン中央部に位置する古都で、三方をタホ川に囲まれた美しい町です。スペインの首都マドリッドからは日帰りで訪問でき、「オルガス伯の埋葬」などで知られる画家エル=グレコ(1542年頃生〜1614年没)が活躍した町としても知られています。トレドの繁栄は6世紀に西ゴート王国の都となったことからはじまりました。8世紀にはイスラム勢力がイベリア半島を支配下に置いたことからトレドはキリスト教の軍事力、イスラム教徒の農業、建築、工芸等に関する知識や技術、ユダヤ教徒の化学、医学、金融などに関する知識が一体となり、高い文化水準を誇りました。1085年、レコンキスタ(国土回復運動)によりトレドは再びキリスト教勢力の支配下におかれ、1479年のスペイン王国成立後トレドは都として繁栄しました。1561年首都がマドリッドに移され、トレドは政治・経済の中心地としての役目を終えましたが、司教座があることからスペイン・カトリックの中心地として現在に至っています。また、ダマスキナド(金銀象眼細工)という工芸品や刀剣の産地としても有名です。
奈良市は昭和47年(1972年)9月11日、トレド市で姉妹都市提携を行いました。
  
 
スペインではこの時期田園にアマポーラが咲き誇り車窓を楽しませてくれます
雛芥子(ひなげし)、 虞美人草(ぐびじんそう)、 ポピー、アマポーラ、コクリコ
 
 
 
<クリックするとアマポーラが演奏されます>
 
 
 
 
 
トレドの街
3方をタホ川に囲まれ天然の要塞を形成しているトレドの街
「もしスペインで 一日しか時間がなければ、迷わずにトレドを見よ」 と言われるがまさに絶景です
 
 
 
 
アルカサス(王城)
 
    ビサグラ新門                              アルカンタラ橋
古都トレド旧市街に入る門です。要塞都市トレドの正門、新旧2重に構成された門のうち
外側にカルロス5世王により建造されたもの。上部には双頭の鷲の紋章があります。
 
 
 
                         トレド陸軍士官学校、タホ川の東岸の壁外にある
トレドの街、右端の塔屋がトレド大聖堂
かつての西ゴート王国の首都であり、中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した地である。
「町全体が博物館」と言われ、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。また、ルネサンス期の
スペインを代表するギリシア人画家のエル・グレコが活躍した町としても有名。
 
 
 
サント・トメ教会
  
サント・トメ教会にあるエル・グレコの『オルガス伯の埋葬』




 
グレコの最高傑作のひとつ、サント・トメー聖堂の再建に尽力し、1323年に没したオルガス伯爵の逸話を題材に描
いた作品、画面上オルガス伯の魂の昇天と、当時の有力者に囲まれながらの埋葬という2場面を同時に構成している。光り輝くイエスの周りに聖母マリアや洗礼者聖ヨハネを始めとする諸聖人の他、幾多の天使が描かれているほか、サント・トメー聖堂の司祭や有力者に囲まれながら埋葬されるオルガス伯の周囲にはエル・グレコ自身や画家の息子のホルヘ・マヌエルの姿も描かれている。
 
 
 
 
 
トレド大聖堂
トレド大聖堂
トレド大聖堂はスペインカトリックの総本山、エルグレコ等の絵画の宝庫です
 
 
 
 
聖堂内に飾られているエルグレコの傑作「聖衣剥奪」





 

37歳の時に大聖堂からの発注で、新約聖書からキリストが十字架かけられる直前の衣服を剥がれる姿を鮮やかな色彩で描いた。エル・グレコはスペイン移住後の初仕事としてトレド大聖堂から絵画「聖衣剥奪 」(1577-79)の製作を依頼されが、大聖堂側は「キリストの頭より群衆の位置が高い」、「マリア様が3人もいる」など難癖をつけて報酬を踏み倒そうとした。グレコは争う姿勢を見せたが、異端審問を恐れて結局当初提示した額の三分の一で妥協したという。
 
聖体顕示台
本堂に入って左奥の宝物室には聖体顕示台がある、年一回の聖体祭に外に持ち出され、
行列をつくって2時間ほどトレドの町を歩くそうです。 大礼拝堂の祭壇  ステンドグラス
 
 
 
 
エル・グレコの十二使徒シリーズの「聖ルカ」(上左1)
エル・グレコのキリスト処刑(上左2)
エル・グレコの聖ヨセフとニーノ(上右2)
エル・グレコの瞑想する聖フランチェスコと修道士レオ(上右3)
ベラスケスの肖像画(中左3)
 
 
市庁舎
 
市庁舎の庭は水が流れるオブジェになっている、最近出来た様で昔は芝生であった
 
 
           
 
パラドール・デ・トレドで食事
 
パラドールのロビーにエルグレコの作品が掲げられています。
1968年に建てられた国営ホテル。タホ川の南岸の丘にありトレドの街を一望出来る最高の立地。
 
 
 
 
メインは豚のグリル。ワインはお代わり自由、しばしリッチな気分を味わいました。
 
 
 
 
好立地なところにパラドールがあり、トレドの街を一望出来る。
                
 
 
 
ダマスキナードの専門店
 
ダマスキナード
金や銀の糸を金属のプレートの上に象嵌しながら、デザインされた模様を仕上げていく
 
 
スリ
2人組のスリ、ローカルガイドから後ろから付いて来る2人の娘はスリだから気お付けろとのこと、
その後大聖堂の辺りでパトカーに連行されてるいるところを目撃し安堵した次第
巨大エスカレータ
  




 
巨大エスカレータでバス乗り場まで降ります、おそらく4〜5階建のビルに相当する長さです、そして階下には地下駐車場もあります。エスカレータは2系統あり ビサグラ門に近いレカレド地区から地方議会堂の建つ丘に向かう巨大エスカレーターと、タホ川沿いのサフォント地区からソコドベール広場へ通じる巨大エスカレーター、旧市街の遺跡や歴史的重要文化財の風景と見事に融合しながら、古都トレドを現代化する上で重要な役割を果たしています。エスカレータの有る位置おは以下の地図に示します。
 
 
ローカルガイド(右端)のトニーさん奈良から来たと知って感激の握手を交わしました。
奈良市はトレド市と姉妹都市だからです、昭和47年(1972年)9月11日トレド市と姉妹都市の提携を行っています。
 
 
 
 

 
ラマンチャ コンスエグラ
コンスエグラはマンチャ州に位置し、ブドウ畑の広がる平原に突き出た丘の麓にある人口8000人ほどの小さな町で、丘には11基の風車とアラブの古城が丘の尾根に沿ってきれいに並んでいる。ここは、パエリアに欠かせないサフランの産地としても有名で、毎年10月下旬にはサフラン祭りが開催され、「サフランの女王」を決めるサフラン摘み競争が行われる。 またラ・マンチャ地方は、セルバンテスの不朽の名作『ドン・キホーテ』の、舞台の中心となった地で、作者ゆかりの地や物語の風景がそのまま残っている。(この物語の風車はコンスエグラの風車群ではない。)
 
 
コンスエグラの丘の風車
   
デラックスなポルトガルのバス 、マドリードからポルトガルまで大移動
後方はアラブの古城     粉ひき用だが今は全く動かない
 
 
 
 
風車の向きを変える木の棒と地上の支え、風車の2階は喫茶室にリフォームされていました。
コウノトリが教会の塔屋に巣作り中                 道中よく見かけるオズボーン社の看板
 
 
 
 
太陽光の活用
アンダルシア地方に近づくと大規模なソーラ発電施設に出くわす、
太陽の国スペイン、気候は典型的な地中海性気候で、はまばゆい太陽が輝き雨が少ないアンダルシア。
 
 
 
 
集光集熱装置で温水発電
延々と続くソーラ畑!大規模なソーラ発電で太陽を追尾する方式が目新しい
 
 
 
 
 

 
 
アンダルシア コルドバ
コルドバはセビリア、マラガに続くアンダルシア地方第3の都市。ローマ帝国やイスラム教徒の後ウマイヤ朝に支配されていた10世紀ごろまでは、約100万人もが住んでいた大都市だったとかイスラム教徒によって持ち込まれたギリシャ、ローマ時代の文献が多く残っていたことから、スペインで初めてそれらを学ぶいわば大学のような学校があり、学問の都市として栄えていました。現在は、グアダルキビル川の岸辺とモレナ山脈の麓にたたずむ中小都市ですが、その過去の繁栄振りがうかがえる名所としてイスラム教徒のモスク、メスキータなどがあります。メスキータはコルドバの一番の見所で西欧におけるイスラム文化にキリスト教の建築様式も混合する貴重な建築物。
 
 
 
 
ローマ橋
2000年前のローマ時代に架けられた橋
 
 
 
 
正面はメスキータ
メスキータ (Mezquita) は「モスク」、スペインに現存する唯一の大モスクである。785年、イスラム教の寺院とし
てアブドールラフマン1世は、グワダルキビール川の流れが変わるコルドバの小高い丘にメスキータの建設を始める。ここは紀元2世紀、戦勝祈願を行ったローマ神殿があったという伝説があり、西ゴート王国時代には聖ヴィアンテ教会があった神聖な場所であった。その後、カトリック教徒が権力をにぎった1236年からは、内部に礼拝堂を設けたりカテドラルが新設されて、メスキータはイスラム教とキリスト教、2つの宗教が同居する世にも珍しい建築となった。
 
 
 
 イスラム時代の水車小屋    カラオーラの塔(12世紀 橋と街を守る砦)
  
ローマ橋を渡りと「橋の門(右写真)」をくぐってメスキータに向かう
 
 
 
メスキータ
 
 
コルドバ大聖堂=メスキータの南側の外観
 
 
 
 
オレンジの中庭からみたメスキータ
 
かってはミナレット、アルマンソールの塔、キリスト教の時代から鐘楼に改築
                                 
 
 
 
 
メスキータ内部の赤と白のアーチ
 
メスキータ内部の赤と白のアーチ








 

当初イスラム教の寺院として建設された。その後、カトリック教徒が権力をにぎった1236年からは、内部に礼拝堂を設けたりカテドラルが新設されて、メスキータはイスラム教とキリスト教の2つの宗教が同居する世にも珍しい建築となった。かつてイスラム教徒が庭の池で身を浄めたオレンジの中庭や、アーチ上部の赤と白の縞模様がモスクの面影を感じさせるマヨール礼拝堂など、見所は数多い多数の柱によって支えられた空間を支える無数の円柱は、世界各地から集められた時代、様式、場所の異なる他の建物から転用されたものである、円柱の数は当初より減って今は856本残っている。この転用されたために寸足らずとなった円柱の上部に10m程度の高い天井を支えるための工夫が、特徴となる2重アーチを生んだ。この2重アーチは、赤いレンガと白の石灰岩を交互に楔状に配した構成となっている。
 
                 
 
メスキータ内部のイスラム教のミフラーブ(礼拝所)、右はその天井
 
 
 
 
 
 
メスキータ内部のキリスト教の礼拝堂が中央に位置する
アーチ上部の赤と白の縞模様がモスクの面影を感じさせるマヨール礼拝堂
 
 
 
 
 
 
礼拝堂の円形天井
 
 
 
 
花の小径
                            花の小径とメスキータの鐘楼
 
 
 
 
  
左はコルドバ名物の花の小径、奥のメスキータの鐘楼とゼラニユムの花をバックに記念撮影する人が絶えない
背後はメスキータの鐘楼
 
 
 
 
パテイオの鉢植え
パテイオの鉢植え
家庭のパテイオ(中庭)を見学させてもらった、どこの家庭も競い合って中庭を飾っている。
植物を愛でる国民です。
 
 
 
 
メスキータの西門(デアネス門)近くの黄色の郵便ポスト、この前のお店でWCが借りれます
 
 
 
 
 
 
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 アンダルシア グラダナ
 
アルハンブラ宮殿
アルハンブラ宮殿はそのグラナダを見下ろす丘の上に築かれた城塞・宮殿・離宮から成ります。アルハンブラ宮殿はそのグラナダを見下ろす丘の上に築かれた城塞・宮殿・離宮から成ります。アルハンブラとは「赤い城」という意味で、1238年にナスル朝ララマール王が宮殿の建設に着手、以後21人の王達の手によって増改築が重ねられていきます(砦自体は9世紀に建設されたようです)。王達はアルハンブラ宮殿の造営を通して、ただひたすらにイスラムの美を追求し続けました。その姿はまるでレコンキスタ(イスラムに対するキリスト教勢力の大攻勢)という現実から逃れようとし ているかのようです。グラナダ陥落後、街のモスクは破壊されカテドラル(大聖堂)が建設されました。しかしこのアルハンブラ宮殿が完全に破壊されることはなく、現在でもその優美な姿を見せています。
 
 
 
 
 
 
                           アルハンブラ宮殿の外観
アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味する、当時は赤い漆喰で塗られていたという説がある
 
 
 
カルロス5世宮殿
カルロス5世宮殿の外観と円形の中庭
グラダナ奪還から30年後に16世紀になって造られたルネサンス様式の宮殿でキリスト教徒の
カルロス5世によって建設されたものである。アルハンブラ宮殿全体の雰囲気にはそぐわない異端的建物です。
 
 

 
メスアール宮
メスアール(政庁)の間
現存するアルハンブラ宮殿の中でもっとも古い建物で、王の政務や裁判に利用されました。天井はレバノン杉床を大理石、右はドルマーク($)の起源と言われる文様(タイル絵)、スペインの通貨Pesosの略称の「P’s」のP'とsを重ねて書くようになり、更に$なったという説がある。実際にPesosは1785年にUS$が採用されるまでアメリカで使われていたようです。
 
 
 
 
メスアールの祈祷室からの眺め、刑を言い渡されて見納めの景色になる
腰壁には文字装飾の上に生命の樹が描かれている
 
 
 
 
 
メスアールの中庭(金の中庭)後ろはコマレス宮の扉              謁見の間(大使の間)コマレスの塔の内部にある
 
 
 
 
アラヤネスの中庭
アラヤネスの中庭、背後に高さ50mのコマレスの塔。  右アラヤネスの中庭と南側、背後にカルロス5世宮殿
アラヤネスとは池の横に植えられている天人花のことで両側の2階には4人の正室の部屋がある
水源はシェラネバダ山脈の雪解け水を引き込んでいる、水面に映る宮殿が幻想的です。
 
 
 
中庭のコマレスの塔側の柱廊の両脇のアルコーブ(壁面空間)の腰壁や天井が繊細に作られている。
 
 
 
二姉妹の間
ライオンの中庭を挟んで「2姉妹の間」と「アベセラーヘ家の間」が有る。二姉妹の間の名の由来は床の中央に敷かれた 大きなマカエル産の 2枚の大理石に由来する。天井の装飾は ムカルナス と呼ばれる イスラム建築独特のもの。小さな曲面を集めて蜂の巣状になっている。
 
 
 
左:二姉妹の間の八角天井に施された石飾り(モカラベ)の装飾は不気味さを感じる、
蜂の巣を思わせるが星空をモチーフにしてる。
右:二姉妹の間の床には泉水を挟んで大きな2枚の大理石の床がありこれに由来して
二姉妹の間と呼ばれている、けっして二姉妹が生活していたわけではない。
 
 
 
ライオンの中庭
ライオンのパティオは、12頭のライオンに支えられた噴水が真ん中にあり水時計として1時に一頭、12時には12頭の。
口から水が流れた、このパティオ(中庭)を囲む建物の2階は王の后たちが住んでいた、いわゆるハーレムだった。
 
 
 
 
諸王の間からライオンの中庭側の門
 
 
 
アベンセラーヘ家の間  
アベンセラーへ家の間はグラナダの華族 アベンセラーへの36人にちなんで名付けられました。ある日、華族の一人が王の愛妾と関係したので、怒った王が偽りの祭りの催して、アベンセラーへの全員を招いた。不倫した男を割り出そうとしたが、手がかりがつかめず、アリバイの 無い8人の男を打ち首にしてしまいました。この残酷な虐殺で部屋全体が血の赤一色で染まり、その血はここから流れ出て、ライオンの噴水を通じて中庭まで広がったという。
 
 
アベンセラーへ家の間の天井模様
 
 
 
 
リンダハラのバルコーニ
リンダハラのバルコーニ 二姉妹の間の奥のバルコーニは美しい装飾と天井のテンドグラス。
 
 
 
 
フェネラリーフェの庭
 
ヘネラリーフェとはアラビア語で「天の楽園」という意味で、天国にあるという水の庭園のイメージを形にしたもの。
王の避暑のための離宮として使われていました。シエラ・ネバダ山脈から引かれた水は途絶えることなくこの庭園を
潤しています。噴水は敷地の高低差を生かしたもので、イスラムの土木技術水準の高さを伺わせます。右下の写真は
敷地内の階段ですが、手すりにある溝を水が流れています。溝を流れた水は一度小さな噴水になってまた溝に戻り、
さらに下にある大きな噴水に向かっていきます。
 
 
水道橋
 
                            
 
 
 
 
アセキアの中庭
水をふんだんに使った庭園や噴水が至るところにあります、この水の音から
ギターの名曲「アルハンブラの思い出」が作曲されたました
 
(クリックすると曲が演奏されます)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                               
右はシェラネバダ山脈でグラダナの南に位置しアルハンブラの噴水の水源となっている
 
 
 

グラダナ
フラメンコショー
 
ロス・タラントス(Los Tarantos)・フラメンコ
 
グラダナでは最高レベルの洞窟フラメンコ、アルバイシン地区の狭く曲がりくねった石畳の坂道を登っていくと小さな構えの劇場がある、奥行きのある洞窟の両壁に沿って観客がすわり眼前で激しい踊りが鑑賞出来る。アルバイシン地区はグラダナ最古のイスラム教徒の街で迷路の様な石畳に白い家が当時の面影を残している
 
 
 
                          
せまい洞窟の中でのショーゆえ身近に迫り圧巻の踊りが楽しめます
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 マラガの太陽の海岸(コスタデルソル
グラナダから南西へ約120km、高速道路を1時間強走れば、マラガ(Malaga)という、地中海に面した人口56万人の都市に出ます。画家のピカソの出身地としても有名な町です。地中海に面したこの辺りの海岸は全長約350キロにも及び、コスタ・デル・ソル(Costa del Sol)『太陽海岸』と呼ばれるリゾート地で、バカンスシーズンのみならず、年間を通じて訪問客が多いところです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
このバスはポルトガルのバスでマドリードからポルトガルまで大移動しました。乗客は14人で快適です。
EU共通のプレート: 左端にEUの星印とPの国名{ポルトガルを示す)ナンバー表示は「2文字×3群」の表示す、右欄は最初の登録年月
 
 
 
 
5月でもトップレスで泳ぐ海水浴客、この辺りは地中海のリゾート地です。
 
 
 
 

 
ミハス
青い空に輝く白壁を眺める事が出来る景色が綺麗なところ、アンダルシアのコスタ・デル・ソルから20数km進む山の中腹の斜面にへばりつくようにミハス(Mijas)はあります。コスタ・デル・ソルを見下ろす標高428mにあって、人口約35,000人とあるがそんな人口とは思えない静かな所です。白壁とレンガ色の屋根という典型的なアンダルシアの家々が建ち並び、白い村ミハスとして知られています。
 
白い壁を飾る鉢植え                          そして土産物屋の壁に商品が
  
                                    民家のテラスにドンキホーテの人形が置いてあります
                                    
 
 
 
 
ミハスから地中海を見下ろす、その遙か先はジブラルタル海峡
 
 
 
 

 
 セビリヤ
人口は70万人でスペイン第4位。セビリア都市圏の人口は130万人に上る。スペイン南部の政治、経済、文化の中心地であり、観光都市である。
 
 
街路樹のジャガランダの紫の花が満開です、アフリカや南米の樹で日本では限られたところしか見れないす花です。
 
 
 
スペイン広場
   
セビリヤのスペイン広場
1929年に開催されたイベロアメリカ博覧会の会場になったスペイン広場
 
 
黄金の塔
黄金の塔
グアダルキビール川 の側にある正12角形の塔。塔の上部が金色の陶器レンガにより輝いていたという。
13世紀に川の通行を検問するため、対岸の塔と鎖で結んで、侵入者を防いでいたという。
 
 
 
 
インディアナ古文書館
コンスティトゥシオン通りのジャカランダ 
紫のジャカランダの花が満開です、世界三大花木の一つで日本でお目にかるのは希です
背後はインディアス古文書館(正式には、インディアス総合古文書館)、アメリカ大陸やフィリピンにおけるスペイン帝国の歴史
を明らかにする上で、比類のない史料群が収められています。この建物は、ルネサンス建築の中でも、イタリア化したスペイン建築の例証
として際立っているため、セビリア大聖堂、アルカサルとともに、1987年にユネスコの世界遺産に登録さている。
 
 
 
 
 
アルカサル
アルカサルとはスペイン語で要塞、砦の意。セビリアのアルカサルは、913年イスラムの王アブデル・ラマーン3世
の命で建設された要塞兼宮殿です。キリスト教徒による国土回復運動の後に再建されたこともあり、イスラムの
漆喰の装飾とカトリックのゴシック、ルネッサンス様式が混ざったエキゾチックな雰囲気の建築物。
 
 
 
 
 
 カテドラル
1402年から建築を開始し、約1世紀後の1519年に完成した大聖堂。完成までにファン・ノルマやペドロ・デ・トレドなど多くの建築家が携わっている。奥行き116m、幅76m、ゴシック様式とルネサンス様式が混合し、規模としてはスペイン最大、またヨーロッパの聖堂としてはローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ第3位の規模を誇る。内部には、聖霊の降臨を表す93枚のステンドグラス、アルフォンソ5世の墓がある王室礼拝堂(現在は見学できない)、15世紀の聖歌隊席、内陣の聖書の場面が彫刻された黄金色の木製祭壇など、見どころがいっぱい。袖廊(そでろう)の右側にあるコロンブスの墓は、当時スペインを構成したカスティーリャ、レオン、ナバーラ、アラゴンの4人の国王がコロンブスの柩(中にはコロンブスの遺灰が納められている?)をかついでいる。またサン・アントニオ礼拝堂にはムリーリョの『サン・アントニオの礼拝』の絵画もある。
高さ98mのヒラルダの塔は、12世紀末、イスラム教徒のアルモアデ族により、モスクのミナレット(小尖塔)として建設されたものに、16世紀、プラテレスコ様式[Estilo Plateresco]*の鐘楼が付け加えられた。展望台のある高さ70mまでが、ほぼオリジナルのままのイスラム建築。下から仰ぎ見れば小さく見える先端も、高さ4m、重さ1288kgもあり、風を受けると、このブロンズ製の像が回転することから、ヒルダ(風見)の塔[La Giralda]と呼ばれ、町のシンボルにもなっている。(1987年に、セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館は世界文化遺産に登録されている。)
 
 
        
 
 
カテドラルとヒダルダの塔
スペイン最大の聖堂、ヨーロッパ3大聖堂。右の行列はアルカサルに入場する列。
 
 
 
 
                                                                
  
大聖堂のヒラルダの塔
高さ98mのヒラルダの塔は、12世紀末、イスラム教徒のアルモアデ族により、モスクのミナレット(小尖塔)として建設されたものに、
16世紀、プラテレスコ様式の鐘楼が付け加えられた。展望台のある高さ70mまでが、ほぼオリジナルのままのイスラム建築。
下から仰ぎ見れば小さく見える98mの先端に高さ4m、重さ1288kgのブロンズ製の女神像があう、風を受けると回転することから、
ヒラルダ(風見)の塔と呼ばれ、町のシンボルにもなっている。
 
 
 
 カテドラルの内部
 
銀の祭壇
 
左:パイプオルガン           左:コロンブスの棺と上にある時計
 左:パイプオルガンのパイプは7500本で最長10mもある。
 右:コロンブスの棺を4人の国王が担いでいる像、 当時スペインを構成したカスティーリャ、レオン、ナバーラ、アラゴンの4人の国王
 
 
 
 
 
中央: サン・アントニオ礼拝堂のセビリア出身の有名画家・ムリーリョが描いた「サン・アントニオ・デ・パドヴァの幻想
 
 
 
 
 
紫を使ったステンドグラスは当時としては画期的だった。
 
 
 
 
ヒラルダの塔から展望
                                       
セビーリャ眺め(東側)映画のロケ地でもある
 
 
 
 
セビーリャ眺め(南側)
@スペイン広場 イベロアメリカ博覧会の会場跡
Aホテル アルフォンソ XIII (13)皇室も利用したセルビアの高級ホテル、       
Bグアダルキビル川に停泊するクルーズ船
  Cアルカサル
 
 
 
ヒラルダの塔の内部
階段が無く螺旋状のスロープです。展望台まで登ります、靴ズレで靴を脱いで裸足で登る女子がいました。
70mの展望台まで34層の螺旋状のスロープを登ります。昔、この塔を造った王様が上まで馬に乗って登れるようにスロープにした。
 
 
 
 
ヒダルダの塔の70m展望台からの聖堂のオレンジの中庭を見下ろす、右は鐘楼の鐘で24個の鐘がある。
 
 
 
 
 欧州自動車道路は、ヨーロッパにおける国際的な道路網 
路線番号E90はポルトガルのリスボンからバルセロナそしてトルコ・イラク国境まで
東西4770 km 続いており途中フェリーも含まれている、A6はジャンクション(ポルトガル) - バダホス(スペイン)間を表示
 
コウノトリの巣 と どんぐり
ポルトガルに向かう道中はコウノトリの巣作りが沢山見られます。
右はドングリの実がなる樫の樹でイベリコ豚の餌になります、さらにこの樹の皮からコルクも取れるコルク樫です。
 
 
 
 
 
 
 
 
以上
 
 

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