2014/5 スペイン・ポルトガル10日間の旅行記です、飛行機の直行便がなくパリ経由 でバルセロナまで乗り継ぎを含めて所要時間17時間とハードでした、また国内の移動はバルセ ロナーマドリード間は新幹線でそれ以外は全てバス移動ですがハイウエーが整備されていて快 適な旅が出来ました。両国内の移動距離は全2300kmに達しました。 ポルトガルの観光地はエヴォラ、アルコバア、ナザレ、オビドス、リスボン、ロカ岬、シント ラです、スペインとは違い日本人&中国人の姿は見ることがありませんでした。 |
ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として栄え、ルネサンスの時代には、大学も おかれた学芸の都でもある。城壁に囲まれた旧市街は「エヴォラ歴史地区」の名で世界遺産に 登録されている。 |
12〜13世紀に建てられた、ゴシック様式とロマネスク様式が混ざった建物。1584年に日本から の天正少年使節がここを訪れている。内部の「神秘のバラ」「明けの明星」と呼ばれる2つのス テンドグラスと、少年使節の伊東マンショと千々石ミゲルがポルトガル人の前で演奏を披露し たといわれるパイプオルガンは必見。 |
小さな町で陶器の産地です、アルコア川とバサ川に挟まれたところからアルコバサと呼ばれる ようになった。アルコバサのサンタマリア修道院修道院はポルトガル初代国王アフォンソ1世 の所願により、1178年に建築が始められた。フランスのシトー派の影響を強く受けている。修 道院の正面ファサードは18世紀に改築されたバロック様式だが、内部はゴシック様式が残り強 い精神性を感じさせる。南の翼廊にはポルトガル文学で悲恋が歌われるペドロ1世と愛人イネス の墓が並んでいる。 |
精緻な装飾を施された石柩が、キリスト像のある主礼拝堂を挟む左右に置かれています。主祭 壇に向かって左がイネス、右がペドロの柩です。身体を起こすと二人が向き合えるよう、足を 向け合った形に置かれています。起きたと顔を合わせられる様にとペドロ王の願いからである。 |
左:細かな装飾を施された棺が、キリスト像のある主礼拝堂を挟む左右に置かれています。 主祭壇に向かって左がイネス、右がペドロの棺。身体を起こすと二人が顔を向き合わせられ る様う、足を向け合った形に置かれています(就寝所から見下せる) 右:就寝所 |
4世紀にパレスチナのナザレから一人の聖職者が聖母マリア像を持ち込んだことにちなんで町 の名がついたという。 ナザレは、絵のように美しい海辺の村として町を売り込み、人気の観 光地となった。大西洋に面し、長い砂浜を持ち、夏期には観光客で混雑する(ポルトガルでも 良質の砂浜とされる)。一方で、ナザレは漁民によって編まれる伝統的衣装も知られる。既婚 の女性は、7枚重ねの短いスカートにエプロン、頭に巻いたスカーフとスリッパが見られる。 |
オビドスは、『谷間の真珠』と呼ばれる、小さくかわいい町。白壁の家々の窓は花に飾られて まるでおとぎ話から抜け出してきたような雰囲気。なんでも、時の国王ディニス王が王妃イザ ベルがスペインから嫁いできた時に、この町をプレゼントしたとか。この美しい町を気に行っ た王妃はオビドスを直轄地とした |
記念碑が立っている。観光案内所では「最西端到達証明書」を発行してもらえる、石塔の碑文 には詩人カモンイスの「ここに地終わり海始まる」と刻まれている。 |
ポルトガル中西部、首都リスボンに隣接する町シントラ(Sintra)にあるポルトガル王家の離 宮。ポルトガル独特のマヌエル様式とイスラム風の建築様式などが混在する白壁の宮殿で、国 王ジョアン1世により、夏を過ごすための離宮として建設され、15世紀初めに完成した。以来、 ポルトガルが共和制に移行する1910年まで、ポルトガル王家の離宮として使われていた。ポル トガル国内で最も保存状態の良い中世の王宮といわれている。19世紀頃まで増改築が繰り返さ れてきたが、宮殿中心部の白鳥の間や礼拝堂は14世紀末の建設で、16世紀にポルトガル王マヌ エル1世(1469〜1521年)が増築した一角が最大の見どころといわれている。世界遺産に登録 されている。 |
「白鳥の間」には27羽の白鳥がそれぞれ異なるポーズで描かれています。王冠を首に架けてい る白鳥もいます。これは1662年、27才でイギリスチャールズ2世に嫁いだ娘のカタリーナのた めにジョアン4世(マヌエル1世の玄孫にあたります)がその幸せを願って描かせたものです。 |
@鵲(かささぎ)の間 - 鵲のくちばしには紅バラがくわえられている。これには逸話があり、 ジョアン1世は女官にキスしているところを王妃フィリパ・デ・レンカストレに見つけられた。 王は『善意でキスしたのだ。』と弁解し、フィリパは何も言わなかったが、噂が女官たちの間 で広まってしまった。王は、「おしゃべり」という意味のある鳥である鵲を部屋の装飾に用い、 さらにフィリパの実家ランカスター家の紋章である紅バラを描かせた。 Aギャレー船の間 B紋章の間 中央にポルトガル王室の紋章その周りをロイヤルファミリーの8つの紋章が囲ん でいる Cアラブの間 中央に水盤がある、アーティチョークの実(あざみ)とネプチュー |
ポルトガルの首都・リスボン。イベリア半島最長の川・テージョ川の河口に広がる都市で、石 畳の道路や行き交う路面電車など、素朴で趣ある街並みが美しい。迷路のような街並みや、絵 タイル・アズレージョに彩られた建物などに、今でもイスラムの影響を見ることができる。12 55年にポルトガルの首都となり、15〜17世紀にかけての大航海時代にもっとも栄えた。またこ の頃、海外交易によって得た莫大な富で、ジェロニモス修道院などの大建築物が築かれていっ た。おもな観光地の地図を以下に示します |
リスボンの中心地にある巨大な広場、ジョアン1世の騎馬像が立つ広場。かつて欧州最大の市 場があったが、1949年に解体。現在も多くの商店やカフェがある。特に老舗菓子店、コンフェ イタリア・ナシオナルは有名。路面電車15番(ベレン方面)やバス37番(サン・ジョルジェ城 方面)が発着する交通機関の始点。 |
広い円形のロータリー。主要な通りが放射状に延びいてるため、交通量は非常に多い。中心に 立つ約36mの塔の上から1755年のリスボン大地震を復興させた政治家、ポンバル侯爵の像がラ イオンを従えて街を見下ろしている。 右はリスボン市の紋章:リスボンの街のあちこちに帆船と鳥(カラス)のシンボルマークカラ スはポルトガルでキリスト教徒へのよきメッセンジャー、また航海の守護のシンボルとされま した。 |
テージョ川沿いにあり、かつてヴァスコ・ダ・ガマがインド航路の発見をめざし出航した地で す。ベレン地区の川沿いには世界遺産にもなっているベレンの塔やジェロニモス修道院などの 大航海時代を代表する建築物があり、山の手には高級住宅地が広がり、アジュダ宮殿や大統領 官邸であるベレン宮殿、各国大使館や大使公邸などが集まる文教地区となっています。 |
マヌエル様式で大航海時代の富をつぎ込んで建築された。ヴァスコ・ダ・ガマによるインド 航路開拓及び、エンリ ケ航海王子の偉業を称え1502年にマヌエル1世によって着工、1511年に回廊など大部分が完成 した後、中断等もあり、完成には300年ほどかかっている。 |
「発見のモニュメント」。エンリケ航海王子没後500年の記念行事とした記念碑。最初1940年、 再建1960年、1960年に造られたモニュメント。高さ52メートル。カラベル船の船首に似せたデ ザインで、エンリケ航海王子を先頭に30人の探検家・芸術家・科学者・宣教師らの像が並んで いる。過去の栄光へのロマンを掻き立てるモニュメントであり、リスボンの観光スポットの一 つ。 |
リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ、長さ2,277 mの吊り橋。1966年8月6日に開通。 開通当初は、当時のポルトガルの独裁者名で呼ばれていたが、1974年4月25日のカーネーショ ン革命の日から名前をとって改称された。奥に両手を拡げた高さ110mの巨大なキリストの 像が見えるヨーロッパで一番の長さを誇る吊り橋。上段は車、下段は列車が通る2段式となっ ており、1966年までは、市内とリスボン南部をつなぐ橋はなく、フェリーで往来していたが、 当時の独裁者サラザールが4年をかけ建造させた。当初はサラザール橋とよばれたが1974年4月 25日、無血革命にちなんで現在の名に改められた。 |