タイの旅景Thailand |
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バンコクの寺院 ワット・ポー バンコクのチャオプラ川の東側に位置するワット・ポ寺院(涅槃仏寺) 、本堂には巨大なお釈迦様が寝ています。 |
アユタヤはバンコクの北約75kmに位置し、スコータイ王朝に続いて14世紀中頃にアユタヤ王朝が開かれ、およそ400年間栄えた王朝の都です。チャオプラヤ川河口から100キロ近くも内陸にさかのぼった場所に位置するアユタヤは水運に恵まれた、海賊の手も届かない安全な国際都市として発展しました。山田長政が勇名をはせたのもここです。運河で囲まれたなエリアに沢山の遺跡や寺院の跡が散在し当時の繁栄ぶりがうかがえます。 |
14世紀後半に造営されたと言われるアユタヤの重要な遺跡のひとつ。境内は広く、クメール様式の大仏塔を初め数多くの仏塔や礼拝堂の土台、頭部の無い仏像などが残されています。ビルマ軍の侵略により廃墟と化していましたが、1956年に修復され現在の姿となりました。 |
モングコン・ポピットには高さ19mのタイ最大の黄金仏像が安置されています。仏像モングコン・ポピットは1538年、ソムディッチ・プラ・チャイラーチャー王の時代に造られ、シーシェン寺の本尊として露天におかれていました。1603年にソムデッチ・プラチャオ・ソングターム王はワット・プラ・スィー・サンペットの南西に仏像モングコン・ポピットを運び、ボンドップ型(重なって尖っている屋根)の屋根を造りました。ビルマ軍に破壊された後、1951年の修理の際に仏像仏像モングコン・ポピットの体内から何百体もの小さな仏像が発見されました。1992年には黒漆を塗り金箔が塗り直され現在の美しい姿に生まれ変わっています。アユタヤを訪れる人は必ずこの仏様に参詣するそうです。 |
ワット・プラ・シー・サンペットは 1491年、最初の王宮跡に建立されたアユタヤで最大規模を誇った王室専用寺院でした。この寺院の特徴は3人の王の遺骨を納めたセイロン様式のチェディと呼ばれる3基の大仏塔です。 1500年にラマティボディ2世によって造られた高さ16m、171kgの黄金の仏像も、王宮と同様に1767年にビルマ軍の侵略により破壊されて3基の大仏塔が残るのみとなっています。 |
アユタヤの東端にありウートーン王(U-tong)が1357年に建てたと伝えられています。初代ウートーン王が1357年セイロンに留学して戻ってきた修行僧のために建立した寺院と伝えられます。破壊の跡も少なく仏塔や寝釈迦仏、本堂など見どころが多いので人気がある。境内中央にある高さ72mの巨大な仏塔は、第19代ナレースエン王がビルマ軍との戦いに勝利した記念塔です。 |
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ここはバンコクの南西約90km、ダムヌン・サドゥアック運河です、ここには活気ある水上マーケットが有ります。エンジン・ボートに乗って、迷路のような水路を巡り巡って水上市場を目指します。市場内には、たくさんの手漕ぎ舟が行き交っていて、賑わっています。舟が店そのものです。どの舟も溢れんばかりの品物を積み込んで水路を往来し商売をしています。お土産、果物、野菜、衣類は勿論、なんと、麺類の舟まであります。外国人の姿が多く見られ東南アジアの縮図のような、異国情緒溢れる風景です。こあたりは海抜がゼロでベニチアとよく似て水路が発達し水上交通が便利になっています。 |
エンジン・ボートに乗って、迷路のような水路を巡り巡って水上市場を目指します。手漕ぎ舟が行き交っていて、賑わっています。水路が隅々まで整備され水上交通が発達し不自由しないそうで水路のそばには多くの人家があり生計を営んでいます。電気や水道も整備されていました。面白いことに水路の中に電柱が立ってることです、水路が公共の土地なのでしょう。 |