シリアの旅景2
クラック・デ・シュバリエ
フランス語でシュバリエは「騎士」、シリア語でクラックは「砦」。ホムスとトリポリの途中のレバノン国境近くにある、元々はアレッポの領主ホムス王が1031年に建てたものを1144年に聖ヨハネ騎士団が要塞として築き上げ難攻不落を誇っていた。ゴシック城郭の代表格で外壁は最大厚さは9m、外壁周囲600m、兵員収容能力約2000名。1271年イスラム軍により陥落しその後イスラム風に改装された。
|
標高650mの丘に立つ十字軍の要塞。下界は豊かな穀倉地帯、砂漠の気配は全くない
clickで拡大
要塞の模型、右奥に入り口がある
要塞に入る石段
標高が高く曇り空で肌寒く上着が必要であった。
守備塔は全部で7つあり
堀
ゴシック建築の内部
要塞内でクレオパトラの映画の撮影が行われていた。
キャベツ畑
ホムス辺りの車窓からキャベツ畑が見える、この辺りは緑が豊かである
ダマスカス国立博物館
オリエントの真珠ダマスカス
撮影2010.4.22
ダマスカス国立博物館
遺跡大国シリアの出土品の殆どが保存されている。正面入口は、ウマイヤ朝(661〜750)時代の
砂漠の城「カスル・アル・ハイル・アル・ガルビ(西の豪華な城)」の城門を移築したもの。
ダマスカス旧市街 スーク
乳母車を押すの若い親子ずれ
交通量もすさまじいスーク西の入り口にて
スーク(市場)
スーク・ハミディーエ。東西およそ600メートルのアーケードの下に様々な店が続いていて賑わっている
遠足の子供達と引率の先生
陽気で人なつこい
子供服の店、多分晴れ着なのだろう
金細工の店
スークの東の入り口にはローマ時代の門が残る
ウマイヤド・モスク
現存する世界最古のモスク
ウマイヤ朝時代(715年)に建てられた、現存する最古のモスク。ダマスカスは旧約聖書の時代から、キリスト教(聖パウロ)に縁のある街だったため、ウマイヤド・モスクのあるこの地にも、元々は聖ヨハネ聖堂があった。ところが、ウマイヤ朝の首都がダマスカスになると、ここの聖堂の一部をイスラム教の礼拝堂として使うようになった。その後、増え続ける信者を収容するため、聖堂はモスクに全面的に造り替えられた。
|
西の塔
モスク西門の壁のプレート
ウマイヤド・モスクの内部
ウマイヤド・モスクの中庭
モザイクは砂漠の民があこがれた緑の美しい豊かな街並、コーランに示された天国をイメージしている。
このような絵が壁や回廊にも描かれている
宝のドーム
背後の回廊にも美しい金と緑の木と川が描かれている
正八面体の宝のドームの正面はナツメヤシ
イスラム教徒以外は北門から靴を脱いで入り女性は「アバヤ」という長い上着を借りて着用がせねばならない。
体を清める洗い場
洗い場で礼拝の前に体を清めている信者
聖ヨハネが眠る霊廟
イスラム教のカリフがこの地で聖ヨハネの首を見つけたという言い伝えから造られた。
キリスト教のヨハネ霊廟がここに有るのは元はキリスト教の聖堂だった由
聖ヨハネが眠る霊廟の内部
写真の左の凹みはミフラーブでメッカの方向を示している。メッカの方角に祈る男性信者、
女性は男性の遙か遠くの背中側の壁面に座るそうでその理由は男性の欲情を抑えるためだそうだ。
女性の礼拝場所,左の写真は洗礼台
鷲のドームの天井
黒い文字は 神アツラー(5時方向)と預言者の名が順にが刻まれている
モスクの天井には見事な装飾が施されている
モスク北面のステンドグラス
幾何学的模様の中にコーランの文字が描かれている
天井のモザイクと壁や柱の緑の豊かな街並みの絵
旧市街
旧市街、最初にできたカフェ
旧市街の床屋さん、タオルが干されている
ダマスカスの水のみ場
イスラムでは水は公平に分け与えることが義務とされている、壁には神の加護が有ります
様にと彫刻さている、そしてその下には寄付した人の亡くなった家族の名が記されている。
(ウマイヤドモスクの南側の街路で撮影)
ダマスカス旧市街東西に約1500mの「真っ直ぐな道」の工芸品店
真っ直ぐな道のローマ記念門を境に西側のイスラム教徒地区にて
ダマスカス旧市街東西に約1500mの「真っ直ぐな道」の中間 ローマ記念門
ローマ記念門と左は聖マリア教会これより先はキリスト教徒地区手前がイスラム教徒地区
なぜこの道が有名かというと、新約聖書の「使徒たちの活動」にこの道が出てくるからです。
「真っすぐな道」の東端には城壁の東門がある。
旧市街を取り囲む城壁はローマによって建設された
ダマスカスのホテル
エブラ シャム パレス ホテル (EBLA CHAM PALACE)
豪華さではペトラやパルミラと比べれば雲泥の差のホテル。
ホテルの前は緑豊かなゴルフ場
ダマスカス空港
ダマスカス空港は市内から20kmのところにある
シリア砂漠の上空
動画